terça, 16 agosto 2016 10:02

8年ぶりの五輪で棒高跳び7位入賞。 澤野大地35歳、今も貫く不屈の心。

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3度目の五輪、35歳にして、五輪での自己最高位を記録した澤野。断続的な豪雨の中、ベテランらしい冷静さで跳躍を成功させた。

喜びと悔しさを露わにした競技のあとは、どこまでも穏やかな表情だった。

 8月15日に陸上・棒高跳びの決勝が行われ、澤野大地が5m50で7位タイに入り入賞を果たした。

 棒高跳びでは日本選手64年ぶりとなる入賞は、3度目のオリンピックで初めての入賞でもあった。しかも8年ぶりのオリンピックで、35歳にして成し遂げたのである。さまざまな意味で、記念すべき入賞となった。

 澤野は2000年代前半から台頭し、日本の棒高跳びの第一人者として活躍してきた。

 2003年には5m75の日本新記録を樹立、翌年のアテネ五輪に出場し、日本選手として24年ぶりに決勝に進出、13位の成績を残している。2005年には現在も破られていない日本記録である5m83を記録、2006年にはアジア競技大会で日本選手20年ぶりの優勝を果たすなど、「エアー大地」の異名もつけられ、親しまれてきた。

 その歩みが停滞したのは2007年だった。大阪で行われた世界選手権で、全身がつるアクシデントで、記録なしに終わる。

 2008年の北京五輪では5m55にとどまり、予選落ち。「これが実力」と失意に沈んだ。

 今度こそ、挽回を。雪辱を期して臨むはずだった2012年のロンドン五輪は、出場を逃した。日本選手権で若手の成長株だった山本聖途に敗れ、必死に涙をこらえた。

代表に選ばれたのは、直前の7月だった。

年齢を考えれば、第一線を退く選択肢もあった。それでも競技を続行し、リオデジャネイロを目指してきた澤野に待ち受けていたのは試練だった。昨年6月の日本選手権を前に、右アキレス腱を断裂。その後も故障が出るなど、シーズンを棒に振ることになった。

 その間、澤野より若い選手たちが活躍を見せていた。澤野がつけいる余地はないように思える状況の中、澤野は復活する。今年4月の織田記念で優勝したのだ。さらに6月の日本選手権でも優勝するが、代表選考基準として定められていた記録をクリアしていなかったことから、先に2名の選手に内定が出される。

 澤野が代表に選ばれたのは7月のことだ。5m75を跳び、基準をクリア。土壇場での代表入り

「36歳でもできます。年齢とか本当に感じていません」

8月14日、ついに迎えたリオ五輪、予選を経て日本勢でただ1人決勝に進む。

 迎えた決勝は、激しい雨の中で行われた。競技の進行は滞り、明らかに苛立っている選手もいた。

 だが、澤野は落ち着き払っていた。

 競技が始まると、有力視された選手が崩れる中、最初の5m50を一発でクリア。悪条件のもと、この記録が決め手となり澤野は7位入賞を果たしたのである。

「自分自身、オリンピックで初めての入賞です。素直に喜びたいと思います」

 これまで澤野は、大きな大会では不運なアクシデントに見舞われたり、持てる力を出し切れずに終わることが少なくなかった。

 しかし、この日の澤野は違った。落ち着きと、どこか楽しそうにも見える表情が、これまでの彼の姿とは異なっていた。同時に、集中を途切れさせないタフさも身につけていた。

 競技レベルを維持するためのトレーニングを怠らなかったのはもちろんのこと、メンタル面の成長こそが、35歳での入賞の原動力となった。悪条件であったからこそ、この日の澤野の佇まいはそれを強く感じさせた。

 ロンドン五輪出場を逃し、大きな怪我を負ってもあきらめずに継続を選んだ心の強さこそが、記念すべき入賞へたどり着いた最大の理由だ。

 長い道のりの末に手にした35歳での初めての入賞は、大きな価値がある。

 澤野は9月に36歳を迎える。だがこう語る。

「36歳でもできます。年齢とか、本当に感じていません」

 自身の可能性を、さらに追求していこうとしている。

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Ler 291 vezes Modificado em terça, 16 agosto 2016 10:14

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